ときめき神社旅

Happyな人生のための神社参拝記

新型コロナウイルス感染終息を願う ~少彦名神社(大阪)~

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新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るう中、日本でも4月7日、初の緊急事態宣言が発令されました。
中国武漢で発生した当初は、また中国か~と対岸の火事を見ているような感覚でしたが、まさかここまで感染が拡大し、世界中が非常事態に陥るなんて誰が想像できたでしょうか。

日本よりも人口の少ないイタリアやスペインでは、毎日何百人という方が亡くなり続け、気がつけば、アメリカはそれ以上に大変な事態になっている。。。
あっちでも、こっちでも、ロックダウン(都市封鎖)が起こり、世界人口の半分以上の方達が移動制限を強いられ、経済活動も虫の息状態。
私達はまさに今、地球的規模での歴史的な非常事態に直面しています。
そして、日本でも感染者数がこれまでとは違う勢いで伸び始め、油断できない状況という所での緊急事態宣言でした。

こんな時こそ、祈りたい。
でも、緊急事態宣言が出た後では、神社仏閣への参拝もしずらくなるかもしれない。
そう思った私は、居ても立っても居られず、大阪道修町にある少彦名神社を訪れました。
緊急事態宣言が発出される8時間前のことでした。

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◆“薬の町”道修町

少名彦神社が鎮座する道修町は、大阪の“薬の町”で、日本の医薬品産業発祥の地として知られています。
豊臣時代頃から薬種取引の場として薬種業者が集まり、ここから全国に薬が売りさばかれていました。
その名残で、今でも数多くの医薬品関連会社が、ここ道修町に集積しています。
武田薬品工業田辺三菱製薬大日本住友製薬小林製薬塩野義製薬といった名だたる大手製薬会社の本社や中小薬品会社等々、数多くの製薬/薬品関連会社が存在している薬の町です。
そして、今でも界隈の医薬品関連会社から厚く敬われている神社、それが少彦名神社なのです。


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◆日本医薬総鎮守「少彦名神社(すくなひこなじんじゃ)」

少彦名神社のご由緒と御祭神

少彦名神社は、安永9年(1780年)に、それ以前から道修町薬種商たちが祀っていた神農さん(しんのうさん)とともに、京都五条天神社から少彦名命(すくなひこなのみこと)の分霊を勧請・合祀したのが始まりとされています。
少彦名命は、医療・医薬に関係の深い神様です。
また、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)の片腕として、国造りにも力を尽くした事でも知られています。
大変小さな神様で、童話「一寸法師」の原型とも言われています。

御祭神は、日本と中国の医薬の祖神と言われている二柱です。

少彦名命(すくなひこのみこと)
 日本医薬の祖神、常世の神 
神農炎帝(しんのうえんてい)※神農さん
 中国医薬の祖神、商売の神
 

コレラ少彦名神社

新型コロナウイルス感染が日本でも拡がり始めた頃、大阪で密かに注目された神社が、こちらの少彦名神社でした。その昔、コレラの病を治した神社として知られていたからです。
江戸時代終期の文政5年(1822年)、大阪でコレラが流行した時、道修町の薬種仲間が、虎の骨を使った疾病除けの薬「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」という丸薬と、「神虎(張り子の虎)」のお守りをつくって神前で祈願し無償で配ったところ、コレラの病が平癒したと伝えられています。
新型コロナ感染が拡がっている今、当時と同じように少彦名神社に救いを求めるというのも大いに頷けます。

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ビルの間にある細い参道から境内へ

少彦名神社は、大阪メトロ堺筋線「北浜駅」6番出口から堺筋を南に徒歩2~3分程下り、道修町通に入ってスグの場所にあります。“神農さん”と張り子の虎の絵の看板が目印です。

ビルの間の参道入口には、石柱の注連柱が立っており、そこには「定級療病方威蒙 其恩頼」という文字が刻まれています。
やまいをおさむるのりをさだめたまひ、みなそのみたまのふゆをかがふれり」。
正二位伯爵 源通禧の言葉(日本書紀)のようです。
~病が収まりますようご神徳がありますように~というような意味ですね。
少彦名神社が持つ働きを、明確に表している注連柱です。
この言葉をしっかりと心に刻んでから、注連柱をくぐります。

路地のように細い参道脇には、家庭薬の数々が陳列ケースに並べられて紹介されています。
これらは、日本家庭薬協会会員企業のロングセラー商品で、伝統薬を大切に育ててきた会社の商品情報を伝える事を目的としたものだそうです。

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参道の先には本殿(拝殿)があります。その向かって右側にある手水舎は、感染予防対策のため使用できないようになっていました。代わりに、アルコール消毒液が設置されていたので、それをワンプッシュ手にかけてから拝殿へと向かいます。
拝殿の両脇には「祈 コロナウイルス退散」の表示が掲げられ、疾病退散のお守りである張り子の虎が置かれています。これらが、今が平時ではない事を参拝者に強く印象づけています。

先におられたビジネスマンお二人の参拝終わりを待って、私も拝殿へと進み、新型コロナウイルス感染の一刻も早い終息を祈願させていただきました。
参拝が終わり後ろを振り返ると、数人の方が列をなして静かに並んで待っておられました。
道修町のオフィス街は、普段よりも人の往来が少ない印象でしたが、少名彦神社では、程よい具合に参拝者が途切れません。皆さん、コロナウイルス退散祈願で、参拝に来られているのでしょうか。

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御朱印

参拝後は御朱印を頂きに社務所

現在こちらの神社では、鎮花祭(はなしずめのまつり)神事に合わせた、限定版の御朱印を紙で授与されています。
鎮花祭とは、花のはなびらが散る頃に活動すると言われている、疾病の流行を鎮める神事のこと。
新型コロナウイルスが流行している今年は、疾病退散を目的とした鎮花祭を多くの方に知っていただきたいとの理由で、この特別な御朱印の授与を4月30日まで行うそうです。
こちらの御朱印は2種類用意されていますが、私は御朱印帳に貼れる小さいサイズのものを頂きました。
ちなみに今年の鎮花祭は、4月17日9時半から斎行されます。
この神事により、この感染が鎮まる事を願わずにはいられません。

コロナ感染終息を願い奉納された絵馬の数々

こちらの神社では、絵馬を奉納する事もできます。
参道裏にある奉納された絵馬を拝見すると、“日本医薬総鎮守”の神社とあって、病気平癒や健康祈願の他にも、医師や看護師、薬剤師の国家試験合格祈願なども目立ちます。
ですが、新しく奉納された絵馬の半数以上は、新型コロナ退散を祈願するものでした。
 “田舎のおじいちゃんが、コロナウイルで肺炎になりませんように”
 “コロナウイルスから身を守り、家族が健康第一で過ごせますように”
 “コロナウイルス感染が一日も早く終息して、世界に穏やかな日常が戻りますように”
 “コロナのワクチンや治療薬が早く出て、多くの人たちの命が救われますように”
 “疾病退散 世界平和”
  ………etc.
遠く離れたお爺さんや家族のために、日本や世界の人達のために、人類のために、純粋にウイルス退散を祈願して奉納された絵馬の数々。
そこにあるのは、ただ愛のみ。
その愛のエネルギーが心に深くに突き刺さり、胸が熱くなりました。

新型コロナウイルスが、世界中から一刻も早く退散し、人々から笑顔が戻りますように。
そして、経済が早く蘇り、活気に満ち溢れた世界に戻りますように。

次にこの神社に参拝するのは、感染が終息した時のお礼参りに。
その日が一日も早く訪れるよう、強く願いながら少彦名神社を後にしました。

◆コロナが終息したら訪れたい、道修町ミュージアムストリート

道修町通堺筋から御堂筋の間の東西約300mのエリアには、医薬品に関する5つの展示施設が点在し、ここを「道修町ミュージアムストリート」と呼んでいます。

その中で中心となる施設が、少彦名神社の西隣、社務所3階にある「くすりの道修町資料館」でしょう。この施設は、1997年(平成9年)に、道修町に関する諸資料を町全体で保存し、公開する事を目的に開館されました。
コンセプトは、“ここへ来れば道修町がわかる”。
私も数年前に一度訪れた事がありますが、コンパクトなスペースに、町や人、薬の歴史がパネルや現物展示等でわかりやすく紹介されていました。
中でも、昔の薬のパッケージや昭和時代の広告、おまけプレミアム商品等の展示物は、特に興味深く印象に残っています。

他の4つの展示施設は、いずれも製薬会社の建物内で展開されています。
この中で一番古い展示施設が「杏雨書屋」。
武田薬品工業の寄付により設立された、公益財団法人 武田科学振興財団が運営しているもので、中国や日本の伝統医学の薬に関する書籍“本草医書”を中心とした図書資料館になっています。
重要文化財や国宝などの貴重な資料も多数収蔵されている、専門的な施設です。

家族でも楽しめる施設が、田辺三菱製薬大阪本社ビル内にある「田辺三菱製薬史料館」。
ここでは、道修町の薬の歴史と文化紹介の他に、田辺三菱製薬のあゆみと企業活動を、スタイリッシュな展示スタイルで楽しく紹介しています。
薬や体に関するクイズコーナーは、大人はもちろん、お子さんでも楽しみながら学べるようになっています。

大日本住友製薬塩野義製薬本社は、いずれも1階ロビーで100年を超える企業の歴史をギャラリー形式で展開しています。

これら5つのミュージアムは、いずれも無料で開放されていますが(平日のみ)、緊急事態宣言下の今は全館休館中です。
コロナが終息した際には、少彦名神社への参拝を兼ねて、是非道修町ミュージアムも訪れてみてください。

◆神社基本情報

日本医薬総鎮守 「少彦名神社(神農さん)」
 ホームページ http://www.sinnosan.jp/index.html
(御祭神)
 少彦名命、神農炎帝
(ご神徳)
 病気平癒、健康成就
 
(住所)
 〒541-0045 大阪市中央区道修町2-1-8
(アクセス)
 大阪メトロ堺筋線「北浜」駅 6番出口より徒歩5分。
 大阪メトリ御堂筋線淀屋橋」駅 11番出口より徒歩10分。
 京阪電車 京阪本線「北浜」駅 27番出口より徒歩8分。

秘境の神社をバスツアーで巡る③ 参拝後記~天河大辯財天社と玉置神社~


天河神社と玉置神社は、私の心に強烈な印象を植えつけました。
何というか、魂の奥深くにどっしりと刻まれたような、そんな感覚でしょうか。

私にとって神社は、ただそこに居るだけで心が浄化され、幸せ感に包まれる場所です。
天河神社と玉置神社も間違いなくそうした場所です。
が、しかし、それ以上に私自身驚いたのは、参拝後の“余韻”の大きさです。
私は元々、良くも悪くも余韻に引きずられるタイプではあります。
読書や観劇、映画や展覧会の鑑賞、イベントや旅での体験等々、心が大きく揺さぶられたコトには、その感動した感覚が鮮明に心に残り、数日はその余韻に浸っているという事がよくありますが、今回はそれとはスケールの違う余韻でした。

◆6週間続いた、参拝効果

参拝後2週間位は、目を閉じると自然に天河神社と玉置神社の残像がクッキリと浮かび上がりました。思い出そうとしていないのに、です。
本殿へと続く天河神社の石階段、禊殿に向かう長閑な田舎道、玉置神社のあの険しい山の中の参道、手水舎から見た重厚な本殿、駐車場から見た美しい夕日…。
目を閉じると、自分の意思とは関係なく勝手に映像が鮮明に浮かび、まだ自分がその場にいるような感覚に陥ります。

神社の持つ場のエネルギーが大きかったからなのか、それとも私の日常とはあまりにもかけ離れた山深いシチュエーションのせいなのか…。
とにかく、この大きな余韻はタダモノではありません。

そして何より驚いたのが、参拝後の自分の心の変化です。
とにかく、ずっと心が穏やかで、満たされた状態が続いているんです。
それに気づいたのが、参拝から1週間程経った頃でした。
ずっと心が温かくて幸せな感覚が続いていたので、ある時フト「アレ?私何か良い事あったかな?!」と自問自答してしまった程。
いつもとは変わらない日常で、特別良い事があった訳でもないのに、この満たされ感は一体どうしたことか!

毎日、良いイメージで過ごす事を心がけてはいるものの、私の現状はまだまだ足りないものだらけ。
時々、不安や恐れがニョキニョキッと顔を出す事も普通にあるわけです。
それが、何もないのに心が大きく満たさている状態が続いている、こんな経験は初めてでした。
そして、この素晴らしい心の状態は、6週間程続きました。

◆心が満たされる事で起こる、幸せの循環

こうした幸せ感に包まれていると、日常生活でも小さなうれしい事が起こります。
まず、自分の気持ちが何をするにも超前向きになり、行動力が増します。
例えば、断捨離。
もう何年も前から断捨離をしたいと思いながらも、どうしてもできなかった私。
それが、この満たされ感により、自分でも驚く程アグレッシブにスイスイと断捨離をやってのけました。ついでに、何年も手をつけられずに見ないフリをしていた部分の掃除も、一気に行えたのです。

すると、心が益々すっきりとクリアになり更にやる気がアップし、ずっとやりたいと思っていたこの神社ブログを、スタートさせる事ができました。

さらにさらに、心が満たさていると人に対して、とても寛大になるのですね。
ネガティブな発言や行動に対しても、大らかな気持ちで受け止める事ができたり。
一番は、同居している母への気持ちの変化。
母に対して、ずっと心の奥底に隠し持っていたネガティブな気持ち、これが見事に消えて、母への愛情がフツフツと心の奥底から自然と湧き上がり、優しい気持ちで接する事が多くなっていきました。
母はとてもプライドの高い人で、普段は絶対に人を褒める事をしません。
その母が、元旦の朝、新年の祝いの膳の前で、私に感謝と労いの言葉をかけてくれたのです。
かなり照れくさそうではありましたが、私にとっては何よりのお年玉になりました。
そして、また心が波を打つように大きく満たされてゆき、幸せ感に包まれるのでした。

何てことない小さな小さな日常の出来事です。ですが、その小さな変化に気づき、喜び、幸せを感じる事ができる。これこそがHAPPYな人生だなと、改めて実感した新年。
そして、これからもそんな毎日を過ごせる自分でありたいと、切に願うのでした。

天河神社と玉置神社の参拝効果をさらに紐解く

神社参拝とチャクラの関係

少しスピリチュアル的なお話になりますが、神社に親しむと、精神が安定したり誠実度が増したり等々、メンタル面に大きな作用をもたらします。
また、パワースポットとされている神社には、チャクラを活性化させる働きがあるというとも言われています。

チャクラとは、私たちの体にあるエネルギーの出入口のことで、ヨガではお馴染みの言葉ですね。
人間の体には、七つのエネルギースポット=チャクラがあり、宇宙や大地、自然のエネルギーの通り道となっています。
このチャクラが詰まっていると、エネルギー循環が上手くいかず、心身の支障をきたしたり物事が上手く回らなかったりします。
逆に、それぞれのチャクラを活性化させる事で、心身が元気になり物事の好転につながりやすくなります。

ちなみに、天河神社は自己表現やコミュニケーション、創造性が高まると言われている、第5チャクラを活性化させるのに効果があると言われています。
第5チャクラは喉のあたりにあります。他のチャクラがエネルギーを体内に取り込むスポット
であるのに対して、この第5チャクラは唯一、外にエネルギーを出すエネルギースポットです。

そして、玉置神社は直観力や集中力、物事の本質を見抜く力が高まると言われている、第6チャクラの活性化に効果があるそうです。
このチャクラは眉と眉の間にあり、サードアイ(第三の目)とも呼ばれています。
霊的能力の高い方は、ここが開いている事が多いそうです。

天河神社の「ゼロ磁場」効果

天河神社がゼロ磁場にある事は、先のブログでも紹介しました。
多くのエネルギーが蓄積されているゼロ磁場を訪れると、心も身体も元気になる効果があるようです。
特に精神面では、心が軽くなる、明るくなる、安定するなどと言われています。
もしかしたら、私のとてつもなく大きな“満たされ感”は、このゼロ磁場効果によるところが大きいのかもしれません。

玉置山が持つ“霊峰”パワー

玉置神社が鎮座する玉置山の山頂付近は、枕状溶岩の堆積地となっています。(県指定天然指定物)
これは、深い海の底から噴き出した玄武岩質マグマが固まったもので、それが隆起して玉置山が誕生しました。
こうした玉置山の景観は、日本列島の成り立ちを示す証拠になると言われていて、玉置山自体が、地球の活発な火山活動のエネルギーを蓄えているとも考えられます。
玉置神社は紀元前37年に、悪霊退散のために創建されたと伝えられていて、今でもそれがご利益の一つになっています。
実は、溶岩石は内部の熱エネルギーが、外部に漂う負のエネルギーを軽減させる効果があるとも言われています。浄化効果が高いとも言えますね。
もしかしたら、玉置山のこうした要素が、“悪霊退散”のご利益につながっているのかもしれませんね。

◆神社基本情報

天河大辯財天社(天河神社

 ホームページ https://www.tenkawa-jinja.or.jp/
(御祭神)
 市杵島姫命、熊野坐大神、吉野坐大神、南朝四代天皇の御霊、神代天之御中主神より百柱の神
(ご神徳)
 水の大神、弁舌・才智の大神、音楽・芸術・芸能の大神、財宝の大神
 
(住所)
 〒638-0321 奈良県吉野郡天川村坪内107
(アクセス)
 近鉄吉野線下市口駅」より奈良交通路線バス「中庵住行」乗車「天河神社前」下車。
 又は、「下市口駅」から奈良交通路線バスで「天川川合」下車、徒歩約30分。
 ※バスの本数が少ないので事前に運行表を確認する事をお薦めします。

玉置神社

 ホームページ http://www.tamakijinja.or.jp/
(御祭神)
 本殿:国常立尊伊弉諾尊伊弉冉尊天照大御神神日本磐余彦尊
 三柱神社:倉稲魂神、天御柱神、国御柱
 玉石社:大巳貴命
(ご神徳)
 開運厄除、出世、悪霊退散、縁結び、病気平癒、商売繁盛、家内安全、金運上昇

(住所)
 〒647-1582 奈良縣吉野郡十津川村玉置川1番地
(アクセス)
 世界遺産予約バス(完全予約制)
  ・土日祝のみ運行、片道810円/往復1620円
  ・運行時間 昴の郷8:40→十津川温泉8:44→玉置神社9:24着
        玉置神社11:10発→十津川温泉11:50→昴の郷11:54 
  ・予約先 十津川村村営バス管理宇寧事務所 0746-64-0408 
        ※受付時間は、8:30~17時
        ※乗車日の前日17時まで受付(1名から予
        ※冬期(12/1~3/31)は積雪及び路面凍結の恐れがあるため運休

秘境の神社をバスツアーで巡る② 「玉置神社」

※前回のお話(秘境の神社をバスツアーで巡る①「天河大辯財天社」


私たちのツアーバス天河神社を出発して約50分かけて、十津川村一番の名所・谷瀬の吊り橋に到着。
ここでの滞在時間は30分。
生活用吊り橋では日本一の長さ(297m)を誇る吊り橋を体験します。

 

◆谷瀬の吊り橋

ここ谷瀬の吊り橋を訪れるのは、個人的には3回目で約25年ぶりとなりますが、この吊り橋を見た瞬間、渡る時の恐怖が鮮明に蘇りました。
揺れが大きいということに加えて、簡易的な橋の構造がさらに恐さを倍増させます。
何が怖いかって、橋の両サイドが幅広の網になっているため、見通しが良すぎるのと身近に手を支える場所がないこと。
どこにも頼らず自力で、真ん中の板の部分を平衡感覚を保ちながら歩かなければならないのです。
過去2回はいずれも5m程しか前に進めなかったのですが、今回は以前程の恐怖心はなく、意外にもスイスイと前に進めました。これは過去の経験が活きているのか、それとも年を重ねた分図太くなったのか?!
この吊り橋を、地元の方々は普通に歩いておられるのだとか。
自転車やバイクで渡る方もいらっしゃるとかで恐れ入ります。

十津川村では、現在でも約60もの吊り橋や人力ロープウエイの野猿が架かっているそうです。
今の吊り橋ができるまでは、なんと丸太橋を架けて往来されていたというから驚きです。
しかしこの丸太橋は洪水の度に流されるので、谷瀬集落の方々が一戸あたり20万円のお金を出し合って、今の吊り橋を架けれられたのだとか。
昭和29年の事です。
当時の勤労世帯の平均月収が13,000円程ですから、20万円は相当な額になりますね。
集落の方々にとってこの吊り橋は、“外の世界”と集落をつなぐ命綱そのもの。
集落の方々の吊り橋への並々ならぬ思いを知って、心が引き締まりました。

◆玉置神社

谷瀬の吊り橋を出発したツアーバスは、いよいよ最後の目的地である玉置神社に向かいます。
谷瀬の吊り橋と玉置神社は同じ十津川村ですが、車で1時間以上かかります。
バスはいくつかの村里を通り過ぎた後、完全な山道に入りました。
蛇行した細い山道を、かなりの時間クネクネクネクネと登っていきます。
この山道、結構きついです。車酔いしやすい方は、酔い止め薬が必須です。
そして、この山道の行き止まりが、玉置神社の駐車場となります。

玉置神社は、大峰山脈の南端に位置する、標高1076mの霊峰・玉置山頂上近くに鎮座しています。
熊野三山熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の奥の院でもあります。
また、神武天皇が東征の折りに途上された事や、役行者弘法大師が修行に立ち寄られたという伝承も残っています。
創立は紀元前37年の崇神天皇の時代ですから、本当に古い古い由緒ある神社ですね。

本社(本殿)にお祀りされている御祭神は次の五柱。
 国常立尊(くにとこたちのみこと)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) ※神武天皇のこと

いずれも、国造りに深く関わりのある重要な神様です。

・参道

さて、玉置神社の駐車場に到着した私たちは、これから参道を20分近く歩いて本殿に向かいます。
整備された砂利道を5~6分程進むと、道が二つに分岐しています。
ここで、玉置神社参道と示された右の下り道を進みます。
因みに左の道は帰路用の道になります。

この参道は、人一人通るだけがやっとの足場もあまり良くない階段状になった山道です。
ここをドンドンと下っていきます。
周囲は杉の木が立ち並び、山の奥深くにやって来た事を実感させられます。
足腰の弱い方はこっちの参道ではなく、帰路用の道を進む事をお薦めします。
帰路用の道も山道には変わりありませんが、参道よりもアップダウンが少なく比較的歩きやすいです。

さて、10分程山道を進んで、ようやく開けた場所に出てきました。
左奥に見えるのが本殿です。

・本殿

手水舎から見上げた場所に位置する本殿は、どっしりとした堂々とした佇まい。
気持ちを正して、本殿に続く階段を上ります。
この階段も石垣も本殿の建物も、長い年月の風化を感じさせるものですが、それが神々しさや神秘的な雰囲気をさらに助長させているように感じます。
この場にいるだけで、大きなパワーを注入できそう!

・杉の老巨樹

境内には杉の巨樹があちこちに存在していて、玉置神社の見どころの一つとなっています。
私たちは本殿で参拝した後、すぐ裏手に移動。
ここには、「夫婦杉」と樹齢三千年と言われている「神代杉」があります。
これらの杉の巨樹をじっくりと眺めてパワーを感じたいところですが、この日は我々のツアー以外にもいくつかのツアー客がいて、杉の巨樹の前は行列状態。
写真を撮るだけで終わってしまいました。あ~、残念!

神社の境内マップには、この他に「常立杉」「いわれ杉」「浦杉」、そして境内で一番大きい「大杉」が記されています。
何故、ここにこれだけの杉の巨樹があるのか?
神社の方から伺った話では、この一帯は古くから木の伐採が禁じられていた聖域であったため、杉の成長につながったのだそうです。

そして、この樹齢数千年の巨樹たちは、一定間隔で存在しているのだとか。
つまり、これは明らかに人為的に植えられたものだという事なんだそうです。
玉置神社が創建されるもっと前、そう、三千年も前からこの山には人が入っていたという事なんですね。
一体誰がこの杉を植えたのでしょうか?!
大いなるロマンを感じます。

社務所襖絵

重要文化財に指定されている1804年建立の社務所には、幕末の狩野派絵師である法橋・橘保春らが描いた、松・牡丹・孔雀・鸚鵡・鶴などを題材とした60数枚の花鳥図が、襖絵として描かれています。
これら襖絵の拝観がオプションで用意されていたので、ミポリンと一緒に参加しました。

靴を脱いで建物に上がってすぐに、その襖絵の一つが目に飛び込んできました。
「あれっ?! これが襖絵?」
違和感を感じたのは、襖の素材が木だったから。
お話を伺うと、ここの襖は全て杉の木板を利用しているのだとか。
山の上まで資材を運搬するよりも、周辺の杉を利用した方が手っ取り早いという事なんだそう。
なるほど、なるほど。

これら襖絵が配置された建物には、いくつかの部屋があります。
その中で入口から一番奥にあり一段高くなっている「孔雀の間」と「御殿」は、聖護院門跡の入峯の際の御座所として用いられたものです。
門跡とは、天皇や上流貴族の子弟が住職を勤める寺院のこと。
御座所とは、それら上流階級の方々の居室のことです。

その昔、神社と寺院は同じ敷地に一緒に存在している事が普通でした。
神仏習合、又は神仏混交と呼ばれている時代で、平安時代から明治時代まで、神道と仏教が融合されていた時代が長く続いていました。
玉置神社の今の社務所は、元々京都にある聖護院の門跡下であった高牟婁院という寺院だったのです。
そしてその建物の中に、ご住職(天皇又は上流貴族の子弟)のための居室(=御座所)を設けていたというお話でした。
因みに、このご住職はずっとここで住まわれていた訳ではなく、年に一度訪れる程度だったようで、ほとんど“開かずの間”だったようです。

・玉石社

続いて向かったのは、社殿のない古代の信仰様式がそのまま残っている「玉石社」。

社務所から摂社・三柱神社の横を通り抜け、出雲大社玉置教会を左手に見ながらしばらく進むと、玉石社と山頂に続く山道が出現しました。結構な急斜面です。
ここを息を切らしながら昇ること約10分、玉石社が現れました。

ここには、古代より熊野磐座信仰のひとつとして崇められきた、“玉石”が鎮座しています。
玉置神社の信仰の基になったとも言われていて、とても興味があった場所。
この場所に修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、後世のために宝珠や神宝等の財宝を鎮めて祈願したと伝わっており、大峰修験道ではここを聖地と崇めて、本殿よりも先に礼拝するのが習わしとなっているそうです。

玉石社は、山の斜面をそのまま活かして柵で囲んでお祀りされているので、そこだけがパーッと開けたような雰囲気を醸し出しています。
もっと山に溶け込んだ、素朴な雰囲気を想像していたのですが、意外に存在感がありました。

注目の玉石は、三本の杉の木に囲まれた根元の中心に祀られていますが、杉の木も含めて柵で囲まれているため、正面からではわかりにくいかもしれません。

玉石社の御祭神は「大巳貴命(おおなむちのみこと)」。
出雲神話で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名で、五穀豊穣や商売繁盛、病気平癒や縁結び等々、広範囲なご利益が頂ける神様として知られています。

この玉石社からさらに10分程昇れば、玉置山山頂に辿り着くのですが、バスの出発時間迄に下山できるかどうか不安だったので、私たちはここで断念して下山する事にしました。
途中、上り坂を急ぎ足で昇っていくツアーガイドさんと遭遇。
ツアー客の様子を確認しにいったんですね。
天河神社の時も関心しましたが、自由奔放に動ている私たちツアー客を、このガイドさん達は本当によく見ておられます。
で、困っていたり迷っていたり、はたまた予想不能な行動をしてる時に、タイミングよく声をかけて下さるです。さすが、プロです。

・帰りのルートも見どころいっぱい!

さて、社務所まで戻った私たちは、何も考えずにおしゃべりしながら本殿の方に進みかけたところに、「どこに行くんですかぁ?」と神?!の声が。
振り返ると、またもやツアーガイドさん。
「駐車場に戻るんだったら、こっちですよ!」と、帰りのルートを指し示してくれたので、迷わずにすみました。ありがとうございます!
それにしても、ついさっき玉石社の方に向かっていたのに、もう戻ってきてる!
凄すぎる!

帰りのルートは、三柱社の少し先にある昇り坂を進みます。
往きの参道は約220段の下りでしたが、帰りの道は反対に昇りが続きます。
約140段程の階段状に整備された山道をゆるやかに昇っていきますが、往きよりも道幅が広く歩きやすいです。
途中、いわれ杉や常立杉などの巨樹があったり、菊理姫命(くくりひめのみこと)を御祭神とした白山社があったり、はたまた天然記念物の枕状溶岩が見れたりと、寄り道スポットが盛沢山。
ここは少し時間をかけて、ゆっくりと楽しみながら駐車場まで戻りたいところです。

駐車場に到着したものの、まだ集合時間まで30分程ありました。
このままバスに乗って待つのはもったいないので、駐車場脇にある売店兼食堂に入り、コーヒーをいただく事に。

食堂の扉を開けると、いきなり子熊の剥製がお出迎え!
聞けば、数十年前に店主がこの山で射止めた熊なのだとか。
そうか、この山には熊もいるんですね。

食堂の店内はこじんまりとした山小屋風。
私たちは、食堂の窓際のテーブルで、玉置山の湧き水で淹れた店主自慢のコーヒーをいただきました。癖のないまろやかなお味です。

しばらくして、店主から「窓を開けてみて!」と促され窓を開けると…。
なんと木立の向こうに、大きな夕日が潸然と輝いているではないですか!
う、うつくしい!
空気が澄んでいるせいか、輝きの度合いが違うように感じます。

食堂を出て駐車場からも夕日は見えました。
こちらは山全体を大きく照らす、スケール感のあるものでした。

何だかとても神々しくて、いつまでも見ていたい!
この輝きをしっかりと目に焼き付けながら、またここに戻って来れますように!と、祈りながらバスに乗り込む私たちでした。
(参拝後記に続く)

秘境の神社をバスツアーで巡る① 「天河大辯財天社(天河神社)」

明日は待ちに待った神社ツアーに参加するという前夜に、突然携帯電話が鳴り響きました。
時計を見ると夜10時を過ぎたところ。
クラブツーリズムです。緊急連絡が入りました」。
エッ!、まさかツアーが中止になったのか?!
ドキドキしながら次の言葉を待つ私。
「明日の出発地は天王寺ですよね」
「!!!」
あーそうでした。
明日一緒にツアーに参加するお友達のミポリンだけ、出発地を直前に当初の新大阪から天王寺に変えたのでした。
「はい、同行者は天王寺からですが、私は変わらず新大阪です」
なんだ、出発地の確認の電話か。
てっきりツアーが中止になったのかと思ってビビってしまった私。
それというのも、明日行く天河大辯財天社と玉置神社は、神様から招かれないと辿り着けないと言われている神社だから。
辿り着けない理由は人それぞれ。
天気や体調、個人的事情だけでなく、神社に向かって出発しても途中で事故にあったり道に迷ったりして、辿り着けなかったというような話も聞きます。
が、しかし、とにかく明日は無事にツアーは催行されるようで、ほっと一安心!
神様は私たちを呼んで下さったみたいです。

◆アクセスが悪い…、ならばツアーを探そう!

天河大辯財天社と玉置神社は、日本屈指のパワースポットとして大注目されている神社です。
私がこの二つの神社の存在を認識したのは2019年の夏頃とつい最近ですが、知った瞬間に強烈に惹かれて、絶対に行かなきゃ!と強く強く思った神社。
ですが、どちらの神社も奈良県のとんでもない山奥にあり、アクセスが半端なく悪い場所。
車を運転しない私には、思い立ってもスグには行けないというハンデがあるのです。

でもどうしても行きたい私は、どこかでツアーが開催されていないかネットで調べました。
そしたら見事にヒットしましたよ。
クラブツーリズムが神社仏閣バスツアーをいくつも企画していて、その中の一つに天川大辯財天社と玉置神社行きのツアーがあったんです。これぞ神のお導き!
早速、神社好きなミポリンに声をかけ、一緒にこのツアーに参加する事にしました。

この天河大辯財天社と玉置神社ツアーは数ある神社ツアーの中でも特に人気があるようで、何回もツアーが計画されています。
このツアーは、細い山道をクネクネと走らなければならないため、小型バスでの利用になります。
小型バスの車内は大型バスに比べると、座席が狭くて窮屈感は否めません。
車内は決して快適とは言い難いですが、それでも個人では行きにくい場所に連れて行ってくれるのですから、バスツアーはとてもありがたい存在です。

私が参加したツアー工程は次のようなものでした。

朝8時 新大阪→ 8時40分 天王寺→10時20分頃 天河大辯財天社(滞在1時間20分/バス車内でお弁当昼食)→谷瀬の吊り橋(30分)→14時50分頃 玉置神社(滞在約2時間)→20時20分頃 天王寺→21時頃新大阪

以前、参加した別会社のバスツアーでは神社での滞在時間が30分程しかなく、じっくりと境内を散策するという事ができなくてとても残念な思いをしたことがあります。
ですが今回のツアーでは、神社での滞在時間もたっぷりととってくれているので、とても満足できるものになりました。
おまけに、御朱印もツアーガイドさんがツアー客の分をまとめて代わりに対応してくれるので、御朱印を頂く時間が省略でき、滞在時間を目一杯有意義に過ごす事ができるのはありがたかったです。
これで昼食弁当付き1人10,800円(2019年11月現在)ですから、個人で行く事を思うと随分お得だと感じました。
バスツアーでよくある車内でのお土産販売やお土産物屋さんへのあからさまな立ち寄りもなく、純粋に神社参拝を楽しめるものになっていたのも好感できました。

さて、バスは天王寺からの参加者も乗せて、イザ、天川村へ出発!
ミポリンとも無事に合流できて、一気にテンションが上がります。
お天気は素晴らしい快晴で、とても素敵な神社旅になりそう。心が躍ります。

◆天河大辯財天社(天河神社

天河大辯財天社は、日本三大弁財天の一つと言われている神社で、弁財天(所謂、弁天様)として信仰されている「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」と、熊野坐大神、吉野坐大神、南朝四代天皇、神代天之御中主神より百柱の神が祀られています。

市杵島姫命(弁財天)は「水の大神、弁舌・才智の大神、音楽・芸術・芸能の大神、財宝の大神」とされていて、現世ご利益をもたらしてくれる女神様。
宗像大社に祀られている宗像三女神の一柱でもあります。

そして、ここはゼロ磁場としても有名な神社。
ゼロ磁場とは、N極とS極がぶつかり合っている磁気がゼロの場所のこと。
多くの断層が存在する日本では、いくつかゼロ磁場が存在しています。
ゼロ磁場には多くのエネルギーが蓄積されていて、心と身体を元気にしてくれるパワーがあると言われています。
日本最大の断層「中央構造線断層帯」上には、伊勢神宮高野山等、有名な神社仏閣も点在していて、天河大辯財天社もその断層上にあります。
これだけでも期待は高まります。

さて、バスは天王寺から約2時間程で天河大辯財天社に到着。
到着前にツアーガイドさんから配布された神社周辺の手作りマップを見ながら、ミポリンとどう回ろうかプランを考えます。
ここは本殿以外にもパワーのありそうな場所が目白押し。
禊殿や天石と称されている隕石、阿字観碑、樹齢1300年の大銀杏の他に、ツアーガイドさんから教えてもらった願いが叶うと言われている六角石を巡る事にします。

・太鼓橋~五社殿

まずは正面の一の鳥居をくぐり、手水舎で手と口を清めた後、その横に掛かっている小さな太鼓橋を渡ります。この太鼓橋の辺りがゼロ磁場だと言われているようです。
本殿につながる石階段を昇ると、途中左手側に「五社殿」があります。
ここでは、五柱の神様の祠と「天石」と称されている隕石の一つが祀られていて、いかにもパワーがありそうなスポットです。
一番奥の祠から順番に参拝させていただいたのですが、五つ目の祠の弁財天の化身とされている龍神大神(りゅうじんおおかみ)で参拝しようと手を合わせた瞬間、突然大きな風が吹きました。
うれしい!これは明らかに、神様が歓迎して下さってる証。
この後、ミポリンが撮影した龍神大神の祠の写真には、太陽の光が差し込み神秘的な光の輪が写りこんでいました。
「わ~、これ龍神様からの歓迎のメッセージだ!」
カメラの悪戯による偶然の現象だと思うよりも、神様からのメッセージだと思う方が幸せな気分になれます。こういう時は、信じるが勝ち!です。

・本殿/拝殿

石階段を昇った所にある拝殿は室内のような雰囲気です。というのも、拝殿の前には能舞台のスペースがあり、この二つを屋根で覆って一つの建物にしているからです。
大祭や例大祭には、この能舞台能楽が奉納されています。
天河神社は能と関係が深く、歴史的にも貴重な能楽資料が数多く保存されているとのこと。
昔テレビで観た映画「天河伝説殺人事件」(内田康夫原作)で、天河神社と能が登場したのがとても印象に残っていました。
ですが、映画に登場した天河神社とは全く雰囲気が違うので、思い違いだったのかと思い帰宅してから調べたところ、どうやら映画では滋賀県にある神社を天河神社に見立てて撮影していたようですね。

・五十鈴


さて、拝殿では有名な五十鈴を鳴らしてお参りしますが、これが中々重くて普通に揺らすだけでは上手く鳴りません。五十鈴は円を描くようにグルグル回すと音が出るようです。
この音も独特で、とても低くて重厚な響きが印象的でした。

五十鈴はこの神社に古来から伝わる独自の神器で、天照大御神が天岩屋戸にこもられた時に、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が天岩屋戸の前で賑やかに舞いますが、その舞で用いた矛についている神代鈴と同様のものが五十鈴なのだとか。
ネットで見た拝殿の五十鈴の写真が、五つ鈴があるように見えたので、てっきり五つの鈴=五十鈴だとこの時まで思っていたのですが、真下から見ると思いっきり違ってました!
三つの鈴が二つ重なっているんですね。大きな勘違いでした!

この五十鈴の三つの球形の鈴は、魂の進化にとってとても重要な三つの魂である、「いくむすび」「たるむすび」「たまめむすび」の状態だという事です。
それぞれの言葉の意味が、公式ホームページでは紹介されていないのですが、“生命が誕生し、人となって、その人の魂が一つにまとまる…”というような事でしょうか?
これについては、また改めて調べてみたいと思います。

・天石

天石とは四つの空から降った石のことだそうで、つまり隕石の事ですよね。
境内にはこの内、三つの天石が祀られています。
あとの一つは、神社の案内板には書かれていませんでしたが、ツアーガイドさんによれば神社近くの天ノ川の中にあるとの事。弁天橋の上から見えるそうですが、わかりにくいとの事だったのでそれ以上追求はしませんでした。

さて、私たちは拝殿でのお参りを済ませてから、境内にある三つの天石を探す事にしました。
一つは既に五社殿の前で見つけています。
二つ目は本殿の奥の階段を降りた所にある行者堂の左隣に、特に目立つこともなくひっそりと。
そして三つ目は石階段を少し昇って右側、五社殿とは反対側のやや下の場所にありました。
それぞれの「天石」に両手をかざして、はい、パワーチャージ完了!
次の目的地へと急ぎます。

・禊殿(みそぎでん)

禊殿は、第一の鳥居を出て左に徒歩で10分近く歩いた場所にあります。
目的地までは一本道ではないので、道を間違える人も多く注意が必要です。
最初の分かれ道を左に、次の分かれ道は右に進みます。
確かに細い田舎道なので、よくよく意識しないと分かれ道そのものに気づかないかもしれません。
が、しかしこの田舎道、民家を抜けると右手に天ノ川が開け、左手には小さな畑が山裾に広がり、とても長閑で平和な雰囲気が漂っています。

さて、私たちはこの素敵な田舎道を楽しみながら、迷う事なく禊殿に到着。
ここは社殿を覆い隠すものがなく、とても明るくてオープンな雰囲気です。
社殿のすぐ後方には、ご神体とされている高倉山がこんもりとそびえています。
この高倉山の御祭神をお祀りしている社殿が禊殿なんだとか。
ちなみに高倉山の御祭神は、経津主神(ふつぬしのかみ)、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)、国之常立神(くにとこたちのかみ/別名・ガイア神)。

経津主神(ふつぬしのかみ)とは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火之迦具土神(ほのかぐづちのかみ)の首を斬った時に、剣についた血から生まれた三人の神のうちの一人で、香取神宮の御祭神でもありますね。霊剣が神格化した神様です。

宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)とは、穀物、特に稲の精霊で、全国の稲荷神社の御祭神として有名ですよね。

国之常立神(くにとこたちのかみ)とは、天と地が分かれて国土を形成する時の中心的存在として生まれた神様で、神世七代の最初の神。龍のお姿をしていたという説もあります。
この後に向かう玉置神社の御祭神もこの神様です。

さて、噂では禊殿は本殿以上にパワーのある場所とも囁かれています。
そのせいか、私たちが行った時には、境内に数人の方が座り込んで一面に敷かれている石砂利を触っていたりしましてました。
パワーを注入していたのでしょうか。ちょっと不思議な光景でした。

ここでの参拝を終えて境内から出たところで、駐車場から出てきた一台の車が私たちの前に止まりました。
車の窓ガラスを開け、「どこから来たの?」と声をかけて下さったのは地元のおじいさんです。
大阪から初めて来たと伝えると、それならばと、この禊殿に伝わる伝承を教えてくださいました。

このおじいさんの話では、ここは神武東征の折り、高倉山に昇った神武(天皇)がここでフツノミタマの剣を授かり、それを持って戦ったところ見事に勝利を収めたのだそう。
神武がフツノミタマの剣を授かった場所が山頂にあって、車で5分程で行けるので連れていってあげるよ!とおっしゃって下さったのですが、他にも見たい場所があり時間に限りがあるためお断りしました。
いつかまた、ここに来る機会があれば、高倉山の頂上にも行ってみたいと思います。

・六角石

六角石に向かってお願い事をすると、その願いが跳ね返って禊殿に届いて願いが叶う。
そんな話をツアーガイドさんから聞いてから、ここは絶対に外せない!と思ってた私たち。
はい、“願いが叶う”という言葉にとっても弱いんです。

その六角石は禊殿の目の前を流れている川の対岸にあるらしいので、それらしい所を探しましたが、六角になった石など見当たらず、あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。
一向に見つからずさ迷っていたところに、ツアーガイドさんとバッタリ遭遇!またもや神のお導き!
「六角石ってどこにあるんですか?」
「ここじゃなくて、あっちあっち!」
と、その六角石が見えるスポットまで連れて行ってもらいました。
目指す六角石は、言われてみればなんとなく六角のように思えますが、知らなかったらあの石が六角石だとは気づかないのではないか、というような感じです。
まぁ、とにもかくにも無事に六角石にお願い事ができて良かった良かった!

・来迎院の大イチョウと阿字観碑

最後に訪れたのは、天河神社第一の鳥居の道を隔てた向かい側にある來迎院。
ここの境内には、樹齢1300年にもなる大イチョウの巨樹があります。
弘法大師空海が、お手植えされたものとして伝わっています。
丁度私たちが行った時期は11月の終わりだったので、イチョウの葉は全て落葉していて樹は丸裸状態。ですが、黄色く色づいたイチョウの葉は境内の敷地を広く覆っていて、黄金に輝いているようでとても美しかったです。

その黄色いイチョウの葉に囲まれて阿字観碑が建っていました。

ツアーガイドさんから配布されたイラストマップでは、ここの阿字観碑は、日本に数か所しかないゼロ磁場の石碑として紹介されていたのですが、ゼロ磁場と阿字観ってどういう関係なのか少々疑問です。
元々、阿字観とは真言密教の瞑想法のこと。
空海がこの地を訪れたという事と何か関係があるのかもしれません。

・・・・

さてさて、これで予定していた場所は全て巡りました。
時計を見ると、そろそろ集合時間が近づいています。
再び、天河神社の第一の鳥居をくぐって太鼓橋を渡り右に進むと、社務所があります。
ここで五十鈴の金の根付タイプのお守りを購入して、急いで駐車場に向かいツアーバスに乗り込みます。止まっている車中でツアー客全員がお弁当を食べ終えたところで、バスは次の目的地である谷瀬の吊り橋に向かって出発しました。
(玉置神社編に続く)

神社は心のオアシス

このブログは神社好きな私 ヒミコの、神社参拝記です。
私にとって神社は、心に潤いを与えてくれる大切な場所。
昨今はパワースポットとしての神社が注目され、以前よりも参拝者が多くなっていると感じる事が多くなりました。
私も神社が持つ大きなパワーに魅せられてきた一人です。
困っている時、迷っている時、悲しみや不安の中で怯えている時、心が疲れている時、パワーチャージしたい時、目的を達成したい時、自分を変えたい時、挑戦する勇気を得たい時などなど、とにかく事あるごとに神社に足を運んできました。
もちろん、願いが叶った時、うれしい事があった時も、神様に感謝の気持ちを伝えに行きます。
今や神社は私の人生において、なくてはならない存在です。

◆私が神社に興味をもったきっかけ

今から17年程前の“人生の大きな谷期”の頃、偶然書店で見つけた神社関連の本を読んだ事が、神社に興味を持つきっかけでした。
その本は、神社で祈念すれば願いが叶うという内容のもので、具体的な参拝作法や望ましい祈り方の解説に加えて、神社がとても強いパワースポットであるという主旨の事が書かれていました。

それまで神社には、何年かに一度、気が向けば初詣に出向く程度で、特に関心を持ったことはありませんでした。
たまに参拝しても、手を合わせて祈願はするものの、神社が本当に願いを叶えてくれる程のパワーのある場所だとは、露程にも思っていなかったのです。
だから、この本を読んだ時の衝撃はとても大きなものでした。
まさか、あの神社にそんなに強いパワーがあるの?! まさか?まさか!まさか?!
半信半疑ではあったけど、その時の私は“お先真っ暗”状態。だから、とにかく信じる者はきっと救われる!とそこはポジティブに捉えて、神社への参拝をはじめてみる事にしたのです。

しかし、神社に通い始めたからといって、どん底の状況が急激に好転するというような事はありません。それでも、神社の境内に足を踏み入れ拝殿で手を合わせていると、不思議と心が落ち着き、それまで心の大部分を覆っていた不安や焦り、暗くどんよりとした重い気持ちが、付き物が落ちるようにストンと消え、心がスッキリ軽やかになっていくのを感じました。
そして、境内を出る頃には明るい未来が待ち受けているような、そんな希望に満ちた前向きな気分になっているのです。これだけでも、当時の私は救われました。
以来、神社は私の心の拠り所となり、定期的に参拝するようになりました。

定期参拝をはじめて2年近く経った頃、私の状況は大きく変わっていました。
どん底状況からはいつの間にか脱していて、気がつけば、当初自分が望んでいた方向へと進んでいたのです。そしてそれは、自分の意思とは関係なく、不思議な偶然が重なった結果でした。
今から考えると、まるで見えない大きな力に導かれていたのではないかとさえ思えます。

◆多様な神社の魅力に目覚める

状況が好転してからは、神社への向き合い方も少しずつ変わっていきました。
それまでは、拝殿の前で「神様、なんとか好転させてください!」と必死の思いで祈願した後、御神籤を引いて帰るという事の繰り返しでしたが、心に余裕ができたからでしょうか。
だんだんとそれ以外の事にも目を向けられるようになりました。

参拝後は、境内に漂う空気や風に意識を向けてみたり、鳥のさえずりや水が流れる音に耳を澄ませたり、木立の間から差し込む太陽の光や空に浮かぶ雲の流れに心をときめかせたり、とにかく全身で“神社を感じる”事に喜びを感じるようになりました。

神社の境内には特別な空気や気配が漂っている事も実感するようになりました。
つまりそれが、“気=エネルギー”という事なんですね。
例え都会のど真ん中にある神社であっても、鳥居をくぐって一歩境内に足を踏み入れると、俗世界とは異なる特別な“気”にまとわれた世界が存在しています。
そんな場所でのんびり身を任せているだけで、心も体も浄化されていくようです。

御祭神として祀られている神様や神社の歴史も、大変興味深いものです。
歴史好きな私は、神社が古代と密接に関わっている事を知り、さらに神社への関心が深まりました。
私が定期参拝している大阪の住吉大社は、古代は海に面した航海の発着地で、遣唐使の船もここから出航していたのだとか。また、浦島太郎や一寸法師といったおとぎ話とも深い関わりがあります。
特に創建の古い神社には、こうしたロマンあふれるエピソードが沢山存在しているので、それを知るのも楽しみのひとつです。

旅も神社がベースです。
最近は神社目的の旅をする事が多くなりましたが、別目的の旅であっても、訪問する場所周辺にある神社へは必ず訪れるようにしています。
地方の神社はアクセスが不便な所も多く、観光目的の旅では絶対に行かないような場所であっても、神社目的ならばそんな事もへっちゃら。むしろ普通なら訪れないような場所に行く工程そのものが、楽しい旅の経験となります。

旅で初めて訪れた神社では、御朱印を頂く事も楽しみの一つ。
私が御朱印を集め出したのは7年程前からで、その頃は御朱印を頂くという行為はまだそれ程一般的ではなかったように思います。
ですが、遠路はるばる訪れた神社での参拝の証を持ちたくて、御朱印を頂く事にしたのです。
神社によって個性が異なる御朱印はとても魅力的で、参拝の良い記念となっています。

◆神社との向き合い方、これからの私の挑戦

神社の事をきちんと勉強したくて、2年前に神社検定3級を取得しました。
3級は、所定のテキストをひと通り勉強すれば比較的合格しやすいレベルなので、あまり自慢にはなりませんが、それでもこの勉強のお陰で神社の基本的な知識を得る事ができました。

神社の事を知れば知るほど、その奥の深さに驚かされます。
神社は祈りの場であるだけでなく、日本の歴史や文化を包括している場所でもあります。
また、自分自身を成長させてくれるツールにもなり得るものです。

実は今、私は人生の新たな転機に差し掛かっています。
このブログも、これからの私の目標を成し遂げるための、挑戦のひとつとして始める事にしました。
ブログを書くという行為を通して、神社への理解をこれまで以上に深め、自分自身の成長につなげていければと考えています。