ときめき神社旅

Happyな人生のための神社参拝記

秘境の神社をバスツアーで巡る① 「天河大辯財天社(天河神社)」

明日は待ちに待った神社ツアーに参加するという前夜に、突然携帯電話が鳴り響きました。
時計を見ると夜10時を過ぎたところ。
クラブツーリズムです。緊急連絡が入りました」。
エッ!、まさかツアーが中止になったのか?!
ドキドキしながら次の言葉を待つ私。
「明日の出発地は天王寺ですよね」
「!!!」
あーそうでした。
明日一緒にツアーに参加するお友達のミポリンだけ、出発地を直前に当初の新大阪から天王寺に変えたのでした。
「はい、同行者は天王寺からですが、私は変わらず新大阪です」
なんだ、出発地の確認の電話か。
てっきりツアーが中止になったのかと思ってビビってしまった私。
それというのも、明日行く天河大辯財天社と玉置神社は、神様から招かれないと辿り着けないと言われている神社だから。
辿り着けない理由は人それぞれ。
天気や体調、個人的事情だけでなく、神社に向かって出発しても途中で事故にあったり道に迷ったりして、辿り着けなかったというような話も聞きます。
が、しかし、とにかく明日は無事にツアーは催行されるようで、ほっと一安心!
神様は私たちを呼んで下さったみたいです。

◆アクセスが悪い…、ならばツアーを探そう!

天河大辯財天社と玉置神社は、日本屈指のパワースポットとして大注目されている神社です。
私がこの二つの神社の存在を認識したのは2019年の夏頃とつい最近ですが、知った瞬間に強烈に惹かれて、絶対に行かなきゃ!と強く強く思った神社。
ですが、どちらの神社も奈良県のとんでもない山奥にあり、アクセスが半端なく悪い場所。
車を運転しない私には、思い立ってもスグには行けないというハンデがあるのです。

でもどうしても行きたい私は、どこかでツアーが開催されていないかネットで調べました。
そしたら見事にヒットしましたよ。
クラブツーリズムが神社仏閣バスツアーをいくつも企画していて、その中の一つに天川大辯財天社と玉置神社行きのツアーがあったんです。これぞ神のお導き!
早速、神社好きなミポリンに声をかけ、一緒にこのツアーに参加する事にしました。

この天河大辯財天社と玉置神社ツアーは数ある神社ツアーの中でも特に人気があるようで、何回もツアーが計画されています。
このツアーは、細い山道をクネクネと走らなければならないため、小型バスでの利用になります。
小型バスの車内は大型バスに比べると、座席が狭くて窮屈感は否めません。
車内は決して快適とは言い難いですが、それでも個人では行きにくい場所に連れて行ってくれるのですから、バスツアーはとてもありがたい存在です。

私が参加したツアー工程は次のようなものでした。

朝8時 新大阪→ 8時40分 天王寺→10時20分頃 天河大辯財天社(滞在1時間20分/バス車内でお弁当昼食)→谷瀬の吊り橋(30分)→14時50分頃 玉置神社(滞在約2時間)→20時20分頃 天王寺→21時頃新大阪

以前、参加した別会社のバスツアーでは神社での滞在時間が30分程しかなく、じっくりと境内を散策するという事ができなくてとても残念な思いをしたことがあります。
ですが今回のツアーでは、神社での滞在時間もたっぷりととってくれているので、とても満足できるものになりました。
おまけに、御朱印もツアーガイドさんがツアー客の分をまとめて代わりに対応してくれるので、御朱印を頂く時間が省略でき、滞在時間を目一杯有意義に過ごす事ができるのはありがたかったです。
これで昼食弁当付き1人10,800円(2019年11月現在)ですから、個人で行く事を思うと随分お得だと感じました。
バスツアーでよくある車内でのお土産販売やお土産物屋さんへのあからさまな立ち寄りもなく、純粋に神社参拝を楽しめるものになっていたのも好感できました。

さて、バスは天王寺からの参加者も乗せて、イザ、天川村へ出発!
ミポリンとも無事に合流できて、一気にテンションが上がります。
お天気は素晴らしい快晴で、とても素敵な神社旅になりそう。心が躍ります。

◆天河大辯財天社(天河神社

天河大辯財天社は、日本三大弁財天の一つと言われている神社で、弁財天(所謂、弁天様)として信仰されている「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」と、熊野坐大神、吉野坐大神、南朝四代天皇、神代天之御中主神より百柱の神が祀られています。

市杵島姫命(弁財天)は「水の大神、弁舌・才智の大神、音楽・芸術・芸能の大神、財宝の大神」とされていて、現世ご利益をもたらしてくれる女神様。
宗像大社に祀られている宗像三女神の一柱でもあります。

そして、ここはゼロ磁場としても有名な神社。
ゼロ磁場とは、N極とS極がぶつかり合っている磁気がゼロの場所のこと。
多くの断層が存在する日本では、いくつかゼロ磁場が存在しています。
ゼロ磁場には多くのエネルギーが蓄積されていて、心と身体を元気にしてくれるパワーがあると言われています。
日本最大の断層「中央構造線断層帯」上には、伊勢神宮高野山等、有名な神社仏閣も点在していて、天河大辯財天社もその断層上にあります。
これだけでも期待は高まります。

さて、バスは天王寺から約2時間程で天河大辯財天社に到着。
到着前にツアーガイドさんから配布された神社周辺の手作りマップを見ながら、ミポリンとどう回ろうかプランを考えます。
ここは本殿以外にもパワーのありそうな場所が目白押し。
禊殿や天石と称されている隕石、阿字観碑、樹齢1300年の大銀杏の他に、ツアーガイドさんから教えてもらった願いが叶うと言われている六角石を巡る事にします。

・太鼓橋~五社殿

まずは正面の一の鳥居をくぐり、手水舎で手と口を清めた後、その横に掛かっている小さな太鼓橋を渡ります。この太鼓橋の辺りがゼロ磁場だと言われているようです。
本殿につながる石階段を昇ると、途中左手側に「五社殿」があります。
ここでは、五柱の神様の祠と「天石」と称されている隕石の一つが祀られていて、いかにもパワーがありそうなスポットです。
一番奥の祠から順番に参拝させていただいたのですが、五つ目の祠の弁財天の化身とされている龍神大神(りゅうじんおおかみ)で参拝しようと手を合わせた瞬間、突然大きな風が吹きました。
うれしい!これは明らかに、神様が歓迎して下さってる証。
この後、ミポリンが撮影した龍神大神の祠の写真には、太陽の光が差し込み神秘的な光の輪が写りこんでいました。
「わ~、これ龍神様からの歓迎のメッセージだ!」
カメラの悪戯による偶然の現象だと思うよりも、神様からのメッセージだと思う方が幸せな気分になれます。こういう時は、信じるが勝ち!です。

・本殿/拝殿

石階段を昇った所にある拝殿は室内のような雰囲気です。というのも、拝殿の前には能舞台のスペースがあり、この二つを屋根で覆って一つの建物にしているからです。
大祭や例大祭には、この能舞台能楽が奉納されています。
天河神社は能と関係が深く、歴史的にも貴重な能楽資料が数多く保存されているとのこと。
昔テレビで観た映画「天河伝説殺人事件」(内田康夫原作)で、天河神社と能が登場したのがとても印象に残っていました。
ですが、映画に登場した天河神社とは全く雰囲気が違うので、思い違いだったのかと思い帰宅してから調べたところ、どうやら映画では滋賀県にある神社を天河神社に見立てて撮影していたようですね。

・五十鈴


さて、拝殿では有名な五十鈴を鳴らしてお参りしますが、これが中々重くて普通に揺らすだけでは上手く鳴りません。五十鈴は円を描くようにグルグル回すと音が出るようです。
この音も独特で、とても低くて重厚な響きが印象的でした。

五十鈴はこの神社に古来から伝わる独自の神器で、天照大御神が天岩屋戸にこもられた時に、天宇受売命(あめのうずめのみこと)が天岩屋戸の前で賑やかに舞いますが、その舞で用いた矛についている神代鈴と同様のものが五十鈴なのだとか。
ネットで見た拝殿の五十鈴の写真が、五つ鈴があるように見えたので、てっきり五つの鈴=五十鈴だとこの時まで思っていたのですが、真下から見ると思いっきり違ってました!
三つの鈴が二つ重なっているんですね。大きな勘違いでした!

この五十鈴の三つの球形の鈴は、魂の進化にとってとても重要な三つの魂である、「いくむすび」「たるむすび」「たまめむすび」の状態だという事です。
それぞれの言葉の意味が、公式ホームページでは紹介されていないのですが、“生命が誕生し、人となって、その人の魂が一つにまとまる…”というような事でしょうか?
これについては、また改めて調べてみたいと思います。

・天石

天石とは四つの空から降った石のことだそうで、つまり隕石の事ですよね。
境内にはこの内、三つの天石が祀られています。
あとの一つは、神社の案内板には書かれていませんでしたが、ツアーガイドさんによれば神社近くの天ノ川の中にあるとの事。弁天橋の上から見えるそうですが、わかりにくいとの事だったのでそれ以上追求はしませんでした。

さて、私たちは拝殿でのお参りを済ませてから、境内にある三つの天石を探す事にしました。
一つは既に五社殿の前で見つけています。
二つ目は本殿の奥の階段を降りた所にある行者堂の左隣に、特に目立つこともなくひっそりと。
そして三つ目は石階段を少し昇って右側、五社殿とは反対側のやや下の場所にありました。
それぞれの「天石」に両手をかざして、はい、パワーチャージ完了!
次の目的地へと急ぎます。

・禊殿(みそぎでん)

禊殿は、第一の鳥居を出て左に徒歩で10分近く歩いた場所にあります。
目的地までは一本道ではないので、道を間違える人も多く注意が必要です。
最初の分かれ道を左に、次の分かれ道は右に進みます。
確かに細い田舎道なので、よくよく意識しないと分かれ道そのものに気づかないかもしれません。
が、しかしこの田舎道、民家を抜けると右手に天ノ川が開け、左手には小さな畑が山裾に広がり、とても長閑で平和な雰囲気が漂っています。

さて、私たちはこの素敵な田舎道を楽しみながら、迷う事なく禊殿に到着。
ここは社殿を覆い隠すものがなく、とても明るくてオープンな雰囲気です。
社殿のすぐ後方には、ご神体とされている高倉山がこんもりとそびえています。
この高倉山の御祭神をお祀りしている社殿が禊殿なんだとか。
ちなみに高倉山の御祭神は、経津主神(ふつぬしのかみ)、宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)、国之常立神(くにとこたちのかみ/別名・ガイア神)。

経津主神(ふつぬしのかみ)とは、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が火之迦具土神(ほのかぐづちのかみ)の首を斬った時に、剣についた血から生まれた三人の神のうちの一人で、香取神宮の御祭神でもありますね。霊剣が神格化した神様です。

宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)とは、穀物、特に稲の精霊で、全国の稲荷神社の御祭神として有名ですよね。

国之常立神(くにとこたちのかみ)とは、天と地が分かれて国土を形成する時の中心的存在として生まれた神様で、神世七代の最初の神。龍のお姿をしていたという説もあります。
この後に向かう玉置神社の御祭神もこの神様です。

さて、噂では禊殿は本殿以上にパワーのある場所とも囁かれています。
そのせいか、私たちが行った時には、境内に数人の方が座り込んで一面に敷かれている石砂利を触っていたりしましてました。
パワーを注入していたのでしょうか。ちょっと不思議な光景でした。

ここでの参拝を終えて境内から出たところで、駐車場から出てきた一台の車が私たちの前に止まりました。
車の窓ガラスを開け、「どこから来たの?」と声をかけて下さったのは地元のおじいさんです。
大阪から初めて来たと伝えると、それならばと、この禊殿に伝わる伝承を教えてくださいました。

このおじいさんの話では、ここは神武東征の折り、高倉山に昇った神武(天皇)がここでフツノミタマの剣を授かり、それを持って戦ったところ見事に勝利を収めたのだそう。
神武がフツノミタマの剣を授かった場所が山頂にあって、車で5分程で行けるので連れていってあげるよ!とおっしゃって下さったのですが、他にも見たい場所があり時間に限りがあるためお断りしました。
いつかまた、ここに来る機会があれば、高倉山の頂上にも行ってみたいと思います。

・六角石

六角石に向かってお願い事をすると、その願いが跳ね返って禊殿に届いて願いが叶う。
そんな話をツアーガイドさんから聞いてから、ここは絶対に外せない!と思ってた私たち。
はい、“願いが叶う”という言葉にとっても弱いんです。

その六角石は禊殿の目の前を流れている川の対岸にあるらしいので、それらしい所を探しましたが、六角になった石など見当たらず、あっちにウロウロ、こっちにウロウロ。
一向に見つからずさ迷っていたところに、ツアーガイドさんとバッタリ遭遇!またもや神のお導き!
「六角石ってどこにあるんですか?」
「ここじゃなくて、あっちあっち!」
と、その六角石が見えるスポットまで連れて行ってもらいました。
目指す六角石は、言われてみればなんとなく六角のように思えますが、知らなかったらあの石が六角石だとは気づかないのではないか、というような感じです。
まぁ、とにもかくにも無事に六角石にお願い事ができて良かった良かった!

・来迎院の大イチョウと阿字観碑

最後に訪れたのは、天河神社第一の鳥居の道を隔てた向かい側にある來迎院。
ここの境内には、樹齢1300年にもなる大イチョウの巨樹があります。
弘法大師空海が、お手植えされたものとして伝わっています。
丁度私たちが行った時期は11月の終わりだったので、イチョウの葉は全て落葉していて樹は丸裸状態。ですが、黄色く色づいたイチョウの葉は境内の敷地を広く覆っていて、黄金に輝いているようでとても美しかったです。

その黄色いイチョウの葉に囲まれて阿字観碑が建っていました。

ツアーガイドさんから配布されたイラストマップでは、ここの阿字観碑は、日本に数か所しかないゼロ磁場の石碑として紹介されていたのですが、ゼロ磁場と阿字観ってどういう関係なのか少々疑問です。
元々、阿字観とは真言密教の瞑想法のこと。
空海がこの地を訪れたという事と何か関係があるのかもしれません。

・・・・

さてさて、これで予定していた場所は全て巡りました。
時計を見ると、そろそろ集合時間が近づいています。
再び、天河神社の第一の鳥居をくぐって太鼓橋を渡り右に進むと、社務所があります。
ここで五十鈴の金の根付タイプのお守りを購入して、急いで駐車場に向かいツアーバスに乗り込みます。止まっている車中でツアー客全員がお弁当を食べ終えたところで、バスは次の目的地である谷瀬の吊り橋に向かって出発しました。
(玉置神社編に続く)