ときめき神社旅

Happyな人生のための神社参拝記

秘境の神社をバスツアーで巡る② 「玉置神社」

※前回のお話(秘境の神社をバスツアーで巡る①「天河大辯財天社」


私たちのツアーバス天河神社を出発して約50分かけて、十津川村一番の名所・谷瀬の吊り橋に到着。
ここでの滞在時間は30分。
生活用吊り橋では日本一の長さ(297m)を誇る吊り橋を体験します。

 

◆谷瀬の吊り橋

ここ谷瀬の吊り橋を訪れるのは、個人的には3回目で約25年ぶりとなりますが、この吊り橋を見た瞬間、渡る時の恐怖が鮮明に蘇りました。
揺れが大きいということに加えて、簡易的な橋の構造がさらに恐さを倍増させます。
何が怖いかって、橋の両サイドが幅広の網になっているため、見通しが良すぎるのと身近に手を支える場所がないこと。
どこにも頼らず自力で、真ん中の板の部分を平衡感覚を保ちながら歩かなければならないのです。
過去2回はいずれも5m程しか前に進めなかったのですが、今回は以前程の恐怖心はなく、意外にもスイスイと前に進めました。これは過去の経験が活きているのか、それとも年を重ねた分図太くなったのか?!
この吊り橋を、地元の方々は普通に歩いておられるのだとか。
自転車やバイクで渡る方もいらっしゃるとかで恐れ入ります。

十津川村では、現在でも約60もの吊り橋や人力ロープウエイの野猿が架かっているそうです。
今の吊り橋ができるまでは、なんと丸太橋を架けて往来されていたというから驚きです。
しかしこの丸太橋は洪水の度に流されるので、谷瀬集落の方々が一戸あたり20万円のお金を出し合って、今の吊り橋を架けれられたのだとか。
昭和29年の事です。
当時の勤労世帯の平均月収が13,000円程ですから、20万円は相当な額になりますね。
集落の方々にとってこの吊り橋は、“外の世界”と集落をつなぐ命綱そのもの。
集落の方々の吊り橋への並々ならぬ思いを知って、心が引き締まりました。

◆玉置神社

谷瀬の吊り橋を出発したツアーバスは、いよいよ最後の目的地である玉置神社に向かいます。
谷瀬の吊り橋と玉置神社は同じ十津川村ですが、車で1時間以上かかります。
バスはいくつかの村里を通り過ぎた後、完全な山道に入りました。
蛇行した細い山道を、かなりの時間クネクネクネクネと登っていきます。
この山道、結構きついです。車酔いしやすい方は、酔い止め薬が必須です。
そして、この山道の行き止まりが、玉置神社の駐車場となります。

玉置神社は、大峰山脈の南端に位置する、標高1076mの霊峰・玉置山頂上近くに鎮座しています。
熊野三山熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の奥の院でもあります。
また、神武天皇が東征の折りに途上された事や、役行者弘法大師が修行に立ち寄られたという伝承も残っています。
創立は紀元前37年の崇神天皇の時代ですから、本当に古い古い由緒ある神社ですね。

本社(本殿)にお祀りされている御祭神は次の五柱。
 国常立尊(くにとこたちのみこと)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) ※神武天皇のこと

いずれも、国造りに深く関わりのある重要な神様です。

・参道

さて、玉置神社の駐車場に到着した私たちは、これから参道を20分近く歩いて本殿に向かいます。
整備された砂利道を5~6分程進むと、道が二つに分岐しています。
ここで、玉置神社参道と示された右の下り道を進みます。
因みに左の道は帰路用の道になります。

この参道は、人一人通るだけがやっとの足場もあまり良くない階段状になった山道です。
ここをドンドンと下っていきます。
周囲は杉の木が立ち並び、山の奥深くにやって来た事を実感させられます。
足腰の弱い方はこっちの参道ではなく、帰路用の道を進む事をお薦めします。
帰路用の道も山道には変わりありませんが、参道よりもアップダウンが少なく比較的歩きやすいです。

さて、10分程山道を進んで、ようやく開けた場所に出てきました。
左奥に見えるのが本殿です。

・本殿

手水舎から見上げた場所に位置する本殿は、どっしりとした堂々とした佇まい。
気持ちを正して、本殿に続く階段を上ります。
この階段も石垣も本殿の建物も、長い年月の風化を感じさせるものですが、それが神々しさや神秘的な雰囲気をさらに助長させているように感じます。
この場にいるだけで、大きなパワーを注入できそう!

・杉の老巨樹

境内には杉の巨樹があちこちに存在していて、玉置神社の見どころの一つとなっています。
私たちは本殿で参拝した後、すぐ裏手に移動。
ここには、「夫婦杉」と樹齢三千年と言われている「神代杉」があります。
これらの杉の巨樹をじっくりと眺めてパワーを感じたいところですが、この日は我々のツアー以外にもいくつかのツアー客がいて、杉の巨樹の前は行列状態。
写真を撮るだけで終わってしまいました。あ~、残念!

神社の境内マップには、この他に「常立杉」「いわれ杉」「浦杉」、そして境内で一番大きい「大杉」が記されています。
何故、ここにこれだけの杉の巨樹があるのか?
神社の方から伺った話では、この一帯は古くから木の伐採が禁じられていた聖域であったため、杉の成長につながったのだそうです。

そして、この樹齢数千年の巨樹たちは、一定間隔で存在しているのだとか。
つまり、これは明らかに人為的に植えられたものだという事なんだそうです。
玉置神社が創建されるもっと前、そう、三千年も前からこの山には人が入っていたという事なんですね。
一体誰がこの杉を植えたのでしょうか?!
大いなるロマンを感じます。

社務所襖絵

重要文化財に指定されている1804年建立の社務所には、幕末の狩野派絵師である法橋・橘保春らが描いた、松・牡丹・孔雀・鸚鵡・鶴などを題材とした60数枚の花鳥図が、襖絵として描かれています。
これら襖絵の拝観がオプションで用意されていたので、ミポリンと一緒に参加しました。

靴を脱いで建物に上がってすぐに、その襖絵の一つが目に飛び込んできました。
「あれっ?! これが襖絵?」
違和感を感じたのは、襖の素材が木だったから。
お話を伺うと、ここの襖は全て杉の木板を利用しているのだとか。
山の上まで資材を運搬するよりも、周辺の杉を利用した方が手っ取り早いという事なんだそう。
なるほど、なるほど。

これら襖絵が配置された建物には、いくつかの部屋があります。
その中で入口から一番奥にあり一段高くなっている「孔雀の間」と「御殿」は、聖護院門跡の入峯の際の御座所として用いられたものです。
門跡とは、天皇や上流貴族の子弟が住職を勤める寺院のこと。
御座所とは、それら上流階級の方々の居室のことです。

その昔、神社と寺院は同じ敷地に一緒に存在している事が普通でした。
神仏習合、又は神仏混交と呼ばれている時代で、平安時代から明治時代まで、神道と仏教が融合されていた時代が長く続いていました。
玉置神社の今の社務所は、元々京都にある聖護院の門跡下であった高牟婁院という寺院だったのです。
そしてその建物の中に、ご住職(天皇又は上流貴族の子弟)のための居室(=御座所)を設けていたというお話でした。
因みに、このご住職はずっとここで住まわれていた訳ではなく、年に一度訪れる程度だったようで、ほとんど“開かずの間”だったようです。

・玉石社

続いて向かったのは、社殿のない古代の信仰様式がそのまま残っている「玉石社」。

社務所から摂社・三柱神社の横を通り抜け、出雲大社玉置教会を左手に見ながらしばらく進むと、玉石社と山頂に続く山道が出現しました。結構な急斜面です。
ここを息を切らしながら昇ること約10分、玉石社が現れました。

ここには、古代より熊野磐座信仰のひとつとして崇められきた、“玉石”が鎮座しています。
玉置神社の信仰の基になったとも言われていて、とても興味があった場所。
この場所に修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)が、後世のために宝珠や神宝等の財宝を鎮めて祈願したと伝わっており、大峰修験道ではここを聖地と崇めて、本殿よりも先に礼拝するのが習わしとなっているそうです。

玉石社は、山の斜面をそのまま活かして柵で囲んでお祀りされているので、そこだけがパーッと開けたような雰囲気を醸し出しています。
もっと山に溶け込んだ、素朴な雰囲気を想像していたのですが、意外に存在感がありました。

注目の玉石は、三本の杉の木に囲まれた根元の中心に祀られていますが、杉の木も含めて柵で囲まれているため、正面からではわかりにくいかもしれません。

玉石社の御祭神は「大巳貴命(おおなむちのみこと)」。
出雲神話で有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名で、五穀豊穣や商売繁盛、病気平癒や縁結び等々、広範囲なご利益が頂ける神様として知られています。

この玉石社からさらに10分程昇れば、玉置山山頂に辿り着くのですが、バスの出発時間迄に下山できるかどうか不安だったので、私たちはここで断念して下山する事にしました。
途中、上り坂を急ぎ足で昇っていくツアーガイドさんと遭遇。
ツアー客の様子を確認しにいったんですね。
天河神社の時も関心しましたが、自由奔放に動ている私たちツアー客を、このガイドさん達は本当によく見ておられます。
で、困っていたり迷っていたり、はたまた予想不能な行動をしてる時に、タイミングよく声をかけて下さるです。さすが、プロです。

・帰りのルートも見どころいっぱい!

さて、社務所まで戻った私たちは、何も考えずにおしゃべりしながら本殿の方に進みかけたところに、「どこに行くんですかぁ?」と神?!の声が。
振り返ると、またもやツアーガイドさん。
「駐車場に戻るんだったら、こっちですよ!」と、帰りのルートを指し示してくれたので、迷わずにすみました。ありがとうございます!
それにしても、ついさっき玉石社の方に向かっていたのに、もう戻ってきてる!
凄すぎる!

帰りのルートは、三柱社の少し先にある昇り坂を進みます。
往きの参道は約220段の下りでしたが、帰りの道は反対に昇りが続きます。
約140段程の階段状に整備された山道をゆるやかに昇っていきますが、往きよりも道幅が広く歩きやすいです。
途中、いわれ杉や常立杉などの巨樹があったり、菊理姫命(くくりひめのみこと)を御祭神とした白山社があったり、はたまた天然記念物の枕状溶岩が見れたりと、寄り道スポットが盛沢山。
ここは少し時間をかけて、ゆっくりと楽しみながら駐車場まで戻りたいところです。

駐車場に到着したものの、まだ集合時間まで30分程ありました。
このままバスに乗って待つのはもったいないので、駐車場脇にある売店兼食堂に入り、コーヒーをいただく事に。

食堂の扉を開けると、いきなり子熊の剥製がお出迎え!
聞けば、数十年前に店主がこの山で射止めた熊なのだとか。
そうか、この山には熊もいるんですね。

食堂の店内はこじんまりとした山小屋風。
私たちは、食堂の窓際のテーブルで、玉置山の湧き水で淹れた店主自慢のコーヒーをいただきました。癖のないまろやかなお味です。

しばらくして、店主から「窓を開けてみて!」と促され窓を開けると…。
なんと木立の向こうに、大きな夕日が潸然と輝いているではないですか!
う、うつくしい!
空気が澄んでいるせいか、輝きの度合いが違うように感じます。

食堂を出て駐車場からも夕日は見えました。
こちらは山全体を大きく照らす、スケール感のあるものでした。

何だかとても神々しくて、いつまでも見ていたい!
この輝きをしっかりと目に焼き付けながら、またここに戻って来れますように!と、祈りながらバスに乗り込む私たちでした。
(参拝後記に続く)